ビートクレイジーと西部講堂
今月のDoll誌にex.SS・コンチネンタルキッズ篠やんのインタビューが載ってるらしく、
帰りに本屋でチェック。
コンチのCDが再発されるにあたっての記事だったんだけど、興味深かったのが
デビュー前のブルーハーツを観て、コンチ解散を決意したくだり。
「あれ観て、日本でPUNKをやる意味がなくなった」と。
決してブルーハーツをけなしている訳ではなく、彼らの方法論やスタイルが
自分の概念を超えていた事がショックだったようで。分かるような気がする。
大学進学で京都に一人暮らしする事になり、住家は西部講堂の近所で!と不動産屋で
探した過去がある自分。
村八分ジャケの影響もあるけど、当時、篠やんらが主催していた京都PUNK系バンドの
集まりだったビートクレイジー(西部講堂がその巣窟)の存在があったのも理由の1つ。
当時のビークレには、上京前のローザもいたし、ヴァンパイヤ(変拍子ファンクバンド、
最近再活動している模様)とか、赤痢もいましたっけ。「GIG」な時代の話。
大学に入りたての頃、深夜に友人と西部講堂で写真撮ろうと盛り上がり、
カメラ片手に行った所、西部講堂の裏口から篠やんと故ラン子さんが出てきて
「撮ってあげるわ」とシャター押してくれたという思い出があります。
ステージ上ではあんなに怖いイメージなのに、素はすごい優しい人たちだった。